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2009年4月

2009年4月28日 (火)

「ヴェニスの商人 ー 肉は切れないよ」@遊空間がざびぃ、西荻窪

ネットで知り合った同郷(福岡)の若者が出演している舞台を見に行ってきた。品川に住む人間にとって、西荻窪は遠かったよ。

http://www.gazavie.com/schedule/each/day?y=2009&m=4&d=25

とってもささやかなシアターで、つい通り過ぎちゃうほど。観客も若い人が多かったけど、役者も若くて、キビキビと観客を案内していた。お芝居が始まると、客席を含めた舞台スペースを縦横無尽に走って叫んで、ダイナミックな芝居だった。

台詞がよく聞き取れるのはいいねぇ。みんなよく鍛えている。小道具をちょっと替えるだけで二役や三役をこなす役者がいたけど、ちゃんと見て聴いていれば配役を区別理解出来るんだからすごいね。

シャイロックやアントニオに心を寄せて一喜一憂、アントニオとバッサーニオの友情に共感し、最後の余韻で、シャイロックの娘ジェシカは真の愛を得て幸せになったのだろうかと気になった。つまり、この演劇を楽しめたということだね。

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2009年4月26日 (日)

能「鵺(ぬえ)」@矢来能楽堂

久しぶりに能を見てきた。神楽坂駅近くの矢来能楽堂。演目は「鵺(ぬえ)」、ネットで内容をチェックして出掛けた。

まず驚いたのだが、最初に作品を細かく説明したリーフレットを貰えたうえに、それに基づいて作品紹介や衣装を着るところを見せてくれたり、謡の発声を真似させてくれたこと。こんな機会はとても貴重で、嬉しかった。(^-^)

過去に数回能を見て、どうしても居眠りタイムが入ったので、今回は万全を期して見始めたのに、やっぱり居眠りしちゃった。どうしてなんだろうと不思議で仕方なかったけど、ふと気付いた。面をつけたままの台詞が聞き辛い。必死で聴くけど聴き取れないことが多く、神経が疲れちゃうみたいだ。

歌舞伎や文楽も聞き辛いと言う人は多いけど、私には馴染みだ。比較的最初から台詞の聴き取りに問題を感じなかった。だからすっと物語の中に入っていけたのだと思う。

でも、能は面をつけているからか声が聞きづらいし、謡は声の揃わない男性コーラスみたいで言葉を聞き取るのが難しい。英語の歌もソロ歌手だと聞き取れても、コーラスになると歌詞を聞き取れないみたいなものだ。

ふと台詞を聴き取ることを諦めて、映像的に見てみた。すると眠気なんて吹き飛んで、仲々いい舞台だと思えた。でもね、見ているとすぐ言葉が頭に入ってくると、どうしても言葉に引き寄せられてしまうんだよね。

まだまだ、能を充分に鑑賞するには遠き道のようです。でも、何故か自分でも判らないけど、能は私にとってはお気に入りの芸能になる予感があるす。これからも理解できるように焦らず接していこうと思っている。

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2009年4月20日 (月)

「IO NON HO PAURA (ぼくは怖くない)」@DVD

イタリア語の映画というだけでTsutayaから借りてきた。内容を全然知らなかったので、見ている時ドキドキした。どうなるのこの話ってものだったね。

  <ネタバレです>

イタリア南部の小さな小さな村の少年ミケーレは、遊んでいた廃屋の近くに隠された穴を発見した。覗いて見たら、そこには弱った少年が横たわっていた。

数軒しかない小さな村で妹と両親と暮らすミケーレは、母親にも不在がちな父親にもその少年のことを話さない。何故だろう。

好奇心から穴に通い、水や食べ物を与えながら交流してゆくと、その少年フィリッポもミケーレと同じ10歳だとわかる。

父親の友人というブラジル帰りの男セルジョがやってきて、夜ミケーレの家で大人達が言い争っている。TVニュースはミラノの富豪の息子が誘拐されて身代金が要求されていると伝えていた。

もうこの辺から見ている私はハラハラ、どういう結末になるのだろうかと不安になった。

ミケーレはフィリッポを穴から連れ出して、一緒に麦畑で遊んだりするけれど、夕方にはちゃんと穴へ戻す。10歳で何を考えているのだろうか。10歳ってもうちょっと大人なんじゃないかと思うが、その辺はとても素朴だ。1978年という設定になっている。事実を下敷きにしているのだろうか、こんなドラマを聞いたことがあったような気がしたけれど、HPなどにも事実とは書いてなかった。

友達のミニカー欲しさに、秘密の子供のことを喋ったら、その友達は車の運転をさせて貰えると釣られて、大人に彼のことを喋ってしまう。ミケーレは殴られてしまうが、村人総てが共犯なので殺されはしなかった。大人の中でも犯罪に対する熱意の温度差はある。引っ張っているのはセルジョだ。

捜査の手が伸びてきたと感じたセルジョ達はフィリッポを殺そうとする。嫌がる人間も含めてくじ引きをしているのを見たミケーレは、夜の道を走る。

必死でフィリッポを逃がしたミケーレだが、自分が逃げ出す前に人がやってくる。見ると父親だった。「パパ」と駆け寄るミケーレに向かって銃弾が。

太腿を撃たれたミケーレを抱きしめる父親。セルジョは怒り狂って、ミケーレを案じて戻ってきたフィリッポに手をかけようとした時、捜査のヘリが上空に飛んできた。

最後、必死でフィリッポの方へ手を伸ばすミケーレの場面で終わっている。「ぼくは怖くない」はフィリッポが閉じ込められた穴の壁に彫った文字らしい。

そうだね、昔イタリアでは誘拐事件が頻発してたっけ。その当時にこんなことがあったという設定なんだね。怖くないと頑張ったミケーレ。感動的だけど、とても大きな戸惑いがある。閉じ込められている子供を発見した時のミケーレの対応がどうしても納得いかない。10歳、最初自分の親の関与を想像だにしていないみたいだけど、それでも親に言わないのは何故?大きな犯罪を感じて、親が巻き込まれるのを避けた?親に対する信頼感がないの?犯罪が日常的な都会ではないのに?

ま、そういう映画でした。

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2009年4月19日 (日)

「プラダを着た悪魔」@DVD

とってもセンセーショナルに宣伝していた映画、メリル・ストリープやアン・ハサウェイの話になると必ず言及される映画なので、そのうち見たいと思っていたものを、Tsutayaの半額で借りてきた。

             <ネタバレです>

私は決してこんな業界に身を置いていた訳ではないけれど、けっこう「あった、あった」なんて頷く場面や台詞が散りばめられていて、苦笑しながら見た。

アン・ハサウェイ演ずるジャーナリスト志望の若い女性アンドレアが、有名ファッション誌の編集長の第二アシスタントに応募する。部屋代を出すための就職だったが、ブランド志向の人間ばかりが働く社内で浮いてばかり。カリスマといえる編集長ミランダがメリル・ストリープ。題名からいくとプラダのファッションに身を包んでいるんだろうけど、私のようにブランド無知の人間には、良いもの着てるなというくらいだ。

ミランダのハチャメチャな要求に必死で応えているうちに、アンドレアは次第にファッション業界に働く人々の必死さを知り、品質を見分ける眼を養っていく。しかし昼夜休日を分かたぬ働きぶりに、地道な親友や彼氏たちとのすれ違いが起きてくる。

パリ行きを命とも考えて努力していた第一アシスタントのエミリーを差し置いて、ミランダからパリ行き同行を指示されたアンドレアは悩むが、ちょうどエミリーが自動車事故に遭ったので、決心してパリへ同行する。サイズも6から4へと変わり、すっかり環境に馴染んだアンドレアは、困った時に助けてくれて、ずっと好意をもってくれていたジャーナリストと一夜をともにし、そこでミランダの後任にフランス女性を抜擢する計画がまもなく発表されようとしていると知る。

忙しいミランダに必死でそのことを伝えようとするアンドレア。式典が始まると、司会のミランダがサプライズの発表を行った。後任と言われていたフランス女性を新雑誌に抜擢したのだ。その地位は、アンドレアをずっと支えてきてくれていたナイジェルに約束されていたはずの地位だった。ナイジェルはチャンスを失い、ミランダは地位を保全した。

自分もこの弱肉強食の世界に組み込まれたことを実感したアンドレアは、ミランダとは別の道を歩き出す。

彼氏とも別れて、一般紙に応募したアンドレアは、ミランダが問い合わせに対し、自らアンドレアの才能を認めた回答をしてくれたことを知った。

まぁ、率直に言って、人生こんなに上手くはいかないね。主人公には知性と才能があった。その上容貌スタイルも良かった。大きな意地悪もされず、しっかり支えてくれる人も見つかり、誘惑もちょっとなびいた程度で、且つ、最後には自分の努力がすっかり報われた。出来すぎたストーリーだ。

でもね、楽しい映画だったよ。気分好く見終わることが出来た。これでファッションに関心のある人にとっては最高かもね。

有名ブランドとも知らずに、会社名をスペルアウトしてくれと頼んで相手にむっとされたことがある。ボスの友達なんだから電話を繋げという高飛車の人が結構いたけど、誰でもはいそうですかとは繋がないとか、他にもいろいろ面白いエピソードはあったけど、ちょっとここには書けないかな(^^;)

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2009年4月15日 (水)

「タイム・スクープ・ハンター」@NHK

最初見た時にはBBCの番組みたいだと思った。

時空を飛んで取材するジャーナリスト(要潤)という設定はNHKとしては画期的だと思ったけど、江戸時代の忍者に密着取材というのは無理があり過ぎる。単なるインタビューくらいなら可能かなと思えるけどね。きっと当時の日本人なら、質問攻めにしてるだろうな。

当時の知識を得るというだけなら、面白いと言えるんだけど、見ているといろいろ納得いかない面が出てきた。新月の真夜中に図面を盗みに屋敷に忍び入る。一人が入った後、塀の外に僧侶の格好で見張りに立っていると、酔っ払いがやってきて絡む。そんなことあったかな。星明りがあったとしても、新月じゃ結構暗いよ。酔っ払いが真夜中道を歩いていたとしても、不審な人間に不安になることはあっても、すぐ僧侶と判ってからむかなぁ。

それに、図面を盗んで外へ出てきた忍者を追って、屋敷の中から侍が二人出てくる。その二人が闇夜だろうに、相手をそれほど苦労しないでちゃんと襲えるのが不思議だ。第二弾で屋敷から出てきた侍達が灯りを持ってないのは「ありえねー」って感じだな。

そういうところがBBCものと違ってずっこけだ。

先週は同心だった。江戸文化好きな私には興味深い。でもね、どんな極秘手段があるとしても、歴史上の人物と接触がこんなに可能とはあり得ないよ。どうにかして接触を最小限にしようという努力の方が現実性があって観ていても納得できるよな。同心の夜の見回りに同行する。酔っ払いにジャーナリストが不審を催させないなんて、ありえねぇー!

ましてや、賭場の手入れに同行取材?捕まえた客が江戸者なのに、上州の者だと騙された同心。ありえねー!言葉を軽視しないで欲しいよな。

踏み込んで逮捕したものお、いかさまの証拠がない。そこでジャーナリストが記録した録画で証拠を示すなんて、もうハチャメチャ。

今週は「医僧」16世紀後半、有力な武士に派遣されて、戦場で怪我人の手当てをする救急救命士みたいなものだって。それにしても『特殊な交渉方法』って何だよ。ずっとこれで行くつもりかい?

眼に矢をいられた近習の治療中、患者が気を失って当分眼を覚まさないだろうからと、割り込んだ家老の治療をするのって、妙じゃない?気絶している時にこそ、麻酔のない時代には矢を抜く治療は進め易いんだろうにな。

どの時代の人間も現代日本語を喋る。それに違和感を持たない製作者なのだろうか。

で、だんだん判ってきた。ドラマの現実性ってそれほど配慮されてないらしい。その時のテーマの知識を案内すればそれでよい番組らしい。私としてはあちこち違和感残るけどなぁ。突っ込みどころ満載だもん。知識だけ正確なら良しとするのなら、こんなドラマを作らないで、講義式にでもして欲しい。その方か私としては素直に頭に入るというものだ。

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2009年4月14日 (火)

「歌舞伎座さよなら公演 四月大歌舞伎」

二年に亘るさよなら公演を銘打った歌舞伎座。大げさ過ぎると、あまり期待していなかったのだが、今月は懐かしい坂東玉三郎と片岡仁左衛門の「郭文章 吉田屋」があるというので、やっぱり観に行っちゃった。

結論は、行ってよかった、幸せな気分になれたってことかな。午前の部の先代萩も良さそうだと思ったけど、午後の部は玉三郎の夕霧花魁と相思相愛の仁左衛門の若旦那伊左衛門の恋物語。心中ものはよくあるけれど、これは周囲の情ある人々に救われて、純情な二人の若者は見事添い遂げることが出来ることになった。嬉しいねぇ。

夕霧をひたすら想う人の好い若旦那を仁左衛門が可愛く懐かしく演じる。こういうキャラっていいよねぇ。こんなのを観れるなんて、やっぱり歌舞伎座松竹は「さよなら公演」として頑張っているんだと納得したよ。

毛谷村の六助という快男児を演じた中村吉右衛門は、明るく豪快に演じていて好感。

最後の曽根崎心中の藤十郎親子も素晴らしかった。翫雀がちょっと手代には見れなくて、まるで侍みたいだったけど、そのくらい実直な男ということだろう。私の好きな橋之助が悪い奴を好演していて、軽い気持ちで人を騙して金を巻き上げたのだが、それが若い二人を死に追いやってしまう。

驚くほど若い藤十郎のお初。その若さが心中へと突っ走る二人の悲劇を見せて、良い舞台になっていた。

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2009年4月 4日 (土)

Tikects>> 明日へのチケット

これもレンタルしてきたDVD、イタリア語が聞きたくて借りてきただけだが、少なくともエルマンノ・オルミ監督の第一章では、典雅なイタリア語を聴くことが出来た。

薬学の老教授はインスブルックの会議へ出てローマへ戻ろうとするが、テロ事件のためフライトは総てキャンセルされており、オーストリア女性秘書がとってくれた食堂車でゆったり帰国することになる。

愛する窓もいて不満のない生活であるはずなのに、その女性秘書に心動いたことを意識し、PCで報告書を書きながらも彼女への礼状を夢想する。

乗り合わせたアルバニアの女子供の家族は席をとれず食堂車のドアの外に佇んでいる。憲兵に赤ん坊の為のミルクビンを毀されて難渋している彼女達に、夢想から醒めた老教授は、注文したミルクを手に近づいていく。

第二章はイランのアッバス・キオロスタミ監督の作品。

設定は翌朝らしい。驚くのは配役がイタリア人だけだということだ。アルバニア人家族の姿は見えるが、今回はストーリーに絡んでは来ない。

初老で小太りなイタリア女性と若者の組み合わせ。若い燕かと思わせるが、とにかく女性が尊大で、勝手に一等予約席に座ってしまうので、見ている我々は呆れる。何事が起きるかと思っていると、トイレから出てきた男性が、携帯電話をかけているその女性に対し、ここは自分の席であり、その携帯は自分のだと主張する。我々は即、その男性の主張を信じるものだから、女性の強烈な拒否にますます呆れてしまう。

ところが、やって来た車掌が男性の携帯番号にダイヤルすると隣席から着信音が。なんと、偶然にも同じタイプの携帯であり、似た男性用ジャケットだったのだ。そんなまさかね、というシチュエーションだが、その前の女性の厚かましい態度を見ているものだから、そのまさかということより、へぇ~という面白さの方を感じてしまう。

偶々乗り合わせた少女達は、若者が捨ててきた町の出身で、昔の彼を覚えていた。故郷の話を聞きながら、彼の中に昔の自分への悔悟が芽生えた。本当の予約を入れた男性二人が乗り込んで来たが、その女性は自分の席だと言い張って立ち退かない。ついに車掌がやってきて彼女が持っているのは2等のチケットだとばれてしまうが、それでも自分の席だと言い募る彼女に、車掌は空きコンパートメントを譲ることにする。

若き燕かと思われるほど彼女に従順だった青年は、兵役忌避のため将軍の未亡人の世話を焼く任務についていたのだったが、あまりの横暴ぶりに、ついに自分の荷を持って彼女のもとを去ってしまう。横柄だった彼女だが、それは青年に対する慕情とをれは受容れられないための葛藤がもたらしたものだったようで、ここまでの怪女はいるかどうか判らないけど、こういう喋り方をする厚かましいおばさんはイタリアにいるよ。(^^;)

第三章はケン・ローチという英国人監督だ。

スコットランドのスーパーに働く3人の若者は、サッカーの応援にローマまでなけなしの金でチケットを買ってやってきている。例のアルバニア人家族の少年とサッカーの話をし、サンドイッチを振舞うが、その後の検札で、一人のチケットが無くなっていた。

新しいチケットを購入して罰金も払うシステムだが、それだけの金の余裕が無い三人は、いろいろ考えた揚句、一人がアルバニア人少年が盗ったのだという結論に達する。見ている我々も、まさかと思い、他の二人も抑えようとするが、その一人は頑強に調べろと言う。おそるおそるアルバニア人家族に問い糾し始めた二人は、ついにアルバニア人たちが4人分のチケットを買う余裕がなくて、なんと!盗んでいたことを突き止めてしまった。なんと苦い味!

警察に届けると言い張る三人のスコットランド人若者を必死に宥める若いアルバニア人女性。命からがらアルバニアからローマへ渡った父親が必死で働いていてやっと家族を呼び寄せてくれた。でも、手違いでチケットが一人分足りないのだと懇願する。迷う三人。真実ならチケットを譲ってやりたいが、それでは自分達が逮捕されて失職してしまうかもしれない。その前に試合を見られないかもしれない。そして、彼女の話は嘘かもしれないのだ。

どうするのだろうと見ていると、なんと少年が盗んだと見抜いた一番過激だった若者が、自分のチケットを渡してしまった。

三人は車掌の手で警官にわたされることになる。ローマの駅に着いた。仲々警官がやってこない。見ているとアルバニア人家族を父親が出迎えに来ていて、感激の再会が演じられていた。本当だったのだ。感激した三人の若者は走り出し、車掌や警官を振り切って駅の構内を走り抜ける。サッカーのサポーター達の援護を受け、三人は逃れた。(^-^)

後味はぐっと好くなったね。

第三章はイタリア語でなく、訛りの強い英語が主だった。私にとっては第一章が一番楽しい作品だったね。

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2009年4月 2日 (木)

「DOMANI、明日、陽はふたたび」@イタリア映画

イタリア中部ペルージャ近郊の小さな町の地震で始まる。揺れて、外へ避難して、電気が消えて、車の中や道端で夜明けを待つ人々。日本人はつい神戸の震災を思い出してしまうね。

やっと救援隊が来てもテント生活だ。半壊の家にもどんどん「仕様不可」と検定されていき、多くの人々が家へ戻れなくなる。

副町長は先頭に立って町の再建のために奔走するが、キャンピングカーに別の男性と老母を受容れて、不自由な暮らしだ。

バールの男性は副町長の反対を押し切って、半壊のバールを無料開放する。避難中の人々にはコーヒーを飲んでお喋りする場が必要なのだという。

政府の調査隊がやってきても、一般住宅よりまずは教会にある文化財フラ・アンジェリコの「受胎告知」の絵が先だ。余震が続く中、英国人の若い修復士は早速修復に熱中するが、子供を望んでいる妻との間にすきま風が吹く。

子ども達は案外元気で、精一杯その成長期を過ごしているが、きっと中国の地震のように子ども達が亡くなったというようなことがないからだろう。

それぞれの人物達の変化が描かれる。英国人修復士は妻とうまくいかず、容姿の問題で失恋の続いていた女性教師と惹かれあう。余震で怪我をするが、多分二人の恋はうまくいくだろう。

副町長の妻は同居した男性が老母を介護していることに同情してゆく。それを見た下の息子は不安になって母に当たる。相談に乗った女性教師のアドバイスがうまい。「大人も恋をすることがあるのよ。お母さんも苦しんでいるの。黙っていた方がいいわ」流石イタリア人だと思ったが、ついに父親にそのことを喋ってしまった時、父親が「彼は同性愛なんだよ」と語ってきかせる。これも驚き、やっぱりイタリア人だなという感想だ(^^;)

上の息子は小銭を盗んだりするやんちゃだけど、惚けてきている同居の老女にだんだん優しくなる。彼女の世話をするようになる。こういうエピソードはいいね。

この町はサラミ工場で有名らしく、工場オーナーの娘と貧しい家の女の子は、いつも双子のように仲良く一緒にいた。しかし僅かの時間でも成長してゆく。男の子の存在が二人をそれぞれ別の道へ進ませることになった。

女性監督のインタビューも入っていて、彼女は人生における変化のドラマだと語っていた。地震で引き起こされる変化は悪いものもあれば、肯定できるものもある。人生で最悪なことは何も変化が起きないことだと。・・・(^^;)

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