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2010年4月

2010年4月30日 (金)

「大仏開眼」@NHK

今月初めに放送されたドラマ。感想を書きたいと思いつつ、今日になった。それほど感動は強くなかったということかな。でも、メモっておきたいかな。

1258年前の天平時代、あいつぐ天災に悩まされていた奈良の朝廷は、大国唐に遣唐使を送った。下道真備(しもつみちのまきび - 後の吉備真備)と遣唐学問僧の玄昉(げんぼう)が船で帰国する時から始まる。

平城京は聖武天皇の妻、光明皇后をはさんで、父違いの兄の葛城王(後の橘諸兄もろえ)と父方の甥の藤原仲麻呂が対立していた。

出世欲の塊の玄昉は天皇の母や東宮の安倍宮に近づき、大仏を作ろうとする。真備は対立するどちらの勢力にも属そうとはせず、疫病で弱体化した藤原一族は叛乱を起こした。その頃行基は民衆のために働いていた。

天皇近くに仕えるようになっていた真備は、遷都を勧め乱を避けようとする。大仏を作って世を鎮めるとする考えには組しなかった。

真備が仲麻呂に毅然と抗して、藤原氏が平和的に天皇を佐けるべきと説くところが前編のクライマックスだっただろう。吉岡秀隆はとても上手い役者だけれど、適役とは言い難い。

恭仁京(くにきょう)に移しても世は鎮まらず、天皇は行基に大仏を民のために作りたいと願う。世が鎮まらない今、大仏を作る資力はないと言う真備に、行基は民の心が求めれば為ると応える。

大仏建立のために藤原一族と手を結ぼうとする玄昉は、藤原の血を引かない安積宮(あさかのみや)に毒をもって殺害に手を貸す。一気に武力に訴えようとする藤原仲麻呂に対し、真備は、藤原勢力の平城京へ都を戻すことを示して矛を収めさせた。玄昉は九州に流されて命を落とした。

玄昉と行基は大仏に一番近い存在である真備に大仏を見届けて欲しいと語り合ったと言う。玄昉は道を誤って初めて大仏に近い存在となったと行基は語った。真備はその心を解さない。

平城京に戻って大仏建立を進める藤原氏は、真備を邪魔に思い、大義名分をつけてふたたび唐へと遠ざける。

天平勝宝元年、孝謙天皇が即位し、顔の部分だけしか金粉を貼られていない大仏の開眼式が行なわれたが、光明皇后と藤原仲麻呂によって政治は牛耳られた。

六年後、唐から戻った真備は仲麻呂の下へ向かうが、大宰府に飛ばされる。

藤原の後ろ盾であった光明皇后が亡くなると、元孝謙天皇は再び皇位に戻り、真備を呼び戻した。藤原との戦が起きた。真備は「一度だけ」と大仏に祈って、仲麻呂と戦う。敗れた仲麻呂は、死の間際に、真備に向かって「汝れが友であれば勝てたのに」と言い残す。「誰が政治をやっても大仏には叶わない。汝れがやってみろ」

その後二代の天皇に仕え、現代に至る政治の礎を造った真備は81歳の天寿を全うしたが、その間に大きな戦は起きなかったとナレーションが伝えた。

作・池端俊策

描かれた通りの人物ならば、吉備真備は相当魅力的な人物のはずが、どうにも感動しない。配役の失敗じゃないかしら。

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2010年4月23日 (金)

カレル・チャペック原作「白い病気」@テアトル・エコー

昨夜、恵比寿のテアトル・エコーの公演に行った。ネット友達が出演している。今月26日まで。

ロボットという言葉を創ったと聞いていた(説明に依ると、実際は彼の兄だったそうだが)チェコのカレル・チャペック原作の「白い病気」、脚色・演出は永井寛孝で、彼は舞台の後で司会としてトークを取り仕切った。

ミュージカルという声も聞くけれど、どこかにオペレッタという表現があったね。その方がぴったりしていると感じる。ピアノ、ギター、アコーディオン、シンバルと楽器もあり、いくつもの歌や歌のような台詞もあった。

世界中に(!?)死に至る伝染病「白い病気」が発症した時、ある軍事国家の民間の医師(熊倉一雄)がその特効薬を発明する。平和を願う彼は、貧しい人々や平和を求める人々にのみ施療して、金持ちで好戦的な人々に対しては診療を拒否する。若者には感染しないけれど、年配の人間はどんどん感染してしまい、富と名声を求めることが即ち戦争肯定になる人々が迷い、戸惑い、右往左往する。さて人々は戦争を放棄して平和を求めることが出来るのか。でも、群集は意外な結末をつけた。

見ていて、そのあまりにストレートな「戦争否定、平和希求」の声に、軽い衝撃を受けた。今では多くの人々が気恥ずかしいのか、このようにストレートに平和を叫ばない。私自身、「平和のための原爆使用」という考え方を完全否定していながらも、うまく論破出来ないでいるのだ。

上演後演出家の司会でトークがあった。装置の説明や楽器演奏を決めたプロセスなどの解説は聞いて楽しかった。質疑応答も、まずは自問自答の解説が軽快だった。

「命の選別、平和のテロリスト」、そうだね、多分これは回答のない問題かもしれない。チャペックが、ナチスのチェコ侵入の前年に亡くなっていたそうだが、ナチスの命の選別を知った後だったら、このストーリーは違っていただろうかとも考えたが、一晩寝て、今は、もしかしたらチャペックはそれをある程度知っていて尚且つこれを書いたのかもしれないとも思った。

最後に、熊倉一雄がオリジナル版「ゲゲゲの鬼太郎」を歌ってくれた。私が子どもの頃と変わらない歌声に、信じられない思いだった。楽しかった。

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2010年4月19日 (月)

フジテレビ開局50周年特別企画「わが家の歴史」

4月9日から11日までの3日間、ゴールデンタイムに2時間以上3時間近くの日もあり、CMを抜いても総計7時間くらいはありそうなドラマだ。脚本は三谷幸喜。

昭和2年の戦前に始まり、福岡県炭鉱町の一家の戦中戦後、昭和36年ごろまでの「あったかもしれない、なかったかもしれない」話だそうだ。出演俳優の豪華さは流石に三谷幸喜の作品だと感心させられる。

父親は田川で炭鉱機械企業を経営していた八女時次郎(西田敏行)、子沢山の美人妻(富司純子)、長女政子(柴咲コウ)と妹達、弟達。炭鉱落盤事故で会社を失った父親を助け、長女の政子は一人働いて弟や妹を進学させる。時代の様々な事故、事件などが一家を通過してゆく。政子の許婚は出征し、死亡報告がくるが、実際はシベリアに抑留されて、共産党員として帰国する。その時には好きになった実業家鬼塚(佐藤浩市)の愛人暮らしをしていた政子だった。

博多の空襲、帝銀事件、洞爺丸事件、警察予備隊、学生運動、東大生の金融詐欺、さまざまな事件や、古河ロッパ、榎本健一、吉田茂、曾我町子、力道山、美空ひばり、などの有名人が軽くまた不思議に一家と交わってゆく。

女性の自立やら、漫画の隆盛やら、これでもか、これでもかと入ってくる。キャバレーなどを営業する鬼塚と中井貴一演じるヤクザの親分とのやりとりは東映ヤクザ映画の時代を示しているのだろうか。鬼塚の本妻(天海祐希)の美しいけど女ヤクザみたいな貫禄は、中州のあたりに実際あった話だろうと思われる。

胃癌で逝った鬼塚が子供のために残した金を無断でフラフープに投資して失敗してしまう時次郎。さしづめ、車寅次郎といったところだろうか。孫を世話しながら頓死するのは、ゴッドファーザーだね。

働きづめだった政子は、弟や妹たちがそれぞれに配偶者を迎え、幸せを噛み締める。ナレーションはその息子が育ったとして役所広司がやっていた。エンディングは中島みゆきの「時代」、NHKの有名番組のタイトルソングだ。

で、感想としてはどう言うべきだろう。博多弁は懐かしいし、最初の地名も嬉しい。事件なども耳にしたものが多いけど、でも楽しい作品だったかしら。保存はせずに削除した。

最後に、北海道出身と聞く大泉洋、博多弁をしゃべって、時代に翻弄されつつも純情を貫く男の道化を抵抗感をいだかせずに見せる。好きとは言えないけど、稀有な存在だなと感じた。

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2010年4月 5日 (月)

「今年のお花見」その1

20100403_1 昨日希望ヶ丘でお花見した。団地の中で、ご近所さんがパラパラといらっしゃるくらいだった。上野や千鳥が淵みたいに豪華な桜ではないけれど、それでもあちらに数本、こちらに数本と満開の桜があると気分はお花見で、うきうきしてくる。

残念なのは、やっぱり曇天。桜ってぼんやりした色合いなので、どうしても対照物が欲しいのよね。建物とか緑の柳とか、青空とかさ。

というわけで、薄いグリーンのポールを入れて撮ってみました。

まぁ、本命は友達とのお食事とお茶しながらのおしゃべりでした、という次第。(^^;)

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