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2010年6月26日 (土)

映画「トロッコ」@銀座シネスイッチ

芥川龍之介の作品がベースというが、私は若い頃に読んだはずなのに全く記憶になかった。ネットで読み直して、イタリア映画のような懐かしさを覚えた。今では物書きになった男の思い出ってイタリア映画によくある気がする。

もうひとつ、両親と祖父母達が台湾からの引き上げなので、わが家ではそこはかとなく台湾への郷愁のようなものがある。この映画が台湾を舞台にしたというので見に行ってみた。

まぁ、トロッコと8歳くらいの少年という以外は、芥川の作品とは別物だね。

尾野真千子が母親。二人の小学生の子供を残して台湾人の夫が亡くなった。遺骨を持って、初めて台湾華蓮の夫の実家へ子供を連れて訪れる。トラベルライターとして仕事をしながら子育てをしている若い母親は喪失感と苛立ちで気持ちが追い込まれていた。

夫の父親は、日本人として育ち、兵士として入隊したのに、日本は敗戦と同時に彼らを見捨ててしまったと感じている。日本への懐かしい思いと恨めしさ、長男が日本に留学し、日本人と結婚したことを喜んでいたのに、早々と死んでしまった悲しみを抱えていた。

次男は台北に住み、年老いた父親と身体の弱い母親の面倒を見たいと思っているが、妻と心が行き違っている。

少年は祖父の家で父親やその父親である祖父、叔父などの家族を知り、村の子ども達や寺など暮らしを知る。そして、トロッコ。日本時代に工事現場と繋いでいたトロッコは、今も山中で育てた木の苗運搬に用いられていた。

少年は弟と一緒に手伝ってトロッコを押す。押したり乗ったりしながら山の中へ。原作のように「帰っていいよ」と言われた訳じゃない。そのうち送っていくと言われたのに、もう帰ると走り出した弟を追って少年も駆け出す。道に迷うことはないよね。トロッコの線路を辿っていけばいいのだから。しかし、ずいぶん遠くへ来てしまっていた。

もう歩けないと泣く弟を宥め、鼻緒が切れた弟のサンダルの代わりに自分のサンダルを履かせて、自分は裸足で歩く。一方母親もいなくなった子ども達を捜して右往左往だが、家族が義母のために病院へ行っているため、他の人々と一緒に探すなどというエピソードはまるでない。只管探し回って途方にくれるだけ。

日暮れて戸口に灯りが灯る頃、二人の幼い兄弟はやっと家へ帰り着く。母親へ駆け寄る弟。しっかり抱きかかえる母親。つい上の息子にきつい言葉が出る。「ボクは要らないの」という8歳の少年の言葉が切ない。義母に母親の辛さが息子に負担をかけていると諭され、優しい言葉に癒されていた母親は、二人の息子を両手にしっかり抱きしめる。

老いた義父母と一緒に暮らそうという彼女の申し出を、義父母は優しく断った。日本へ戻って我々の孫を育ててくれという言葉には、無理をしないでゆったり暮らすことの大切さを示しているのだね。

特に大きなドラマもなく、見る人それぞれの想いで鑑賞する映画と言えるだろう。子育て中の疲れた母親、幼い頃を懐かしむ大人、老いた人々にもそれぞれ家族に対する思いがあるのだ。

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