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2010年10月

2010年10月30日 (土)

「検事・鬼島平八郎」@テレビ朝日

秋の新番組。2週見た。 つまらない。

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2010年10月26日 (火)

坂東玉三郎 昆劇公演「牡丹亭」@赤坂ACTシアター

TBSの赤坂サカス地区にある新しい劇場赤坂ACTシアターは初めてだった。新しい劇場なのに座席は決して大きくないし、前列との間も狭い。ギリギリだ。しかし、前の席とは互い違いになる配置と緩やかな傾斜フロアのお蔭で、舞台に対する視界はすっきりしているのが良い。舞台は大きくないが、どうやら客席は3階まであるらしい。相当な人数入るのかもね。

最初玉三郎の歌声が左のスピーカーから聞こえてきた時にはびっくりした。歌舞伎役者と昆劇の役者がこんな小さな舞台でマイクを使うのか?でも、明らかにマイクに乗った声だった。そのうち、台詞はちゃんと本人から聞こえてくる肉声らしいと気付いてからは、歌って声を張ると、上手の楽団の音をとるマイクに声が乗るのかもしれないと思うようになった。

玉三郎は美しい。蘇州語の発音やら調べに馴染みがないから、その辺は分からないけど、語りながらの微かな笑顔が艶かしい。華やかな恋する乙女が、夢に会った男に恋焦がれてやつれた場面では、着物の色と少し落とした照明で、ほんとうに痩せ細ったように見えたのは驚きだった。更にやつれて死の前の場面では、もっと照明を落としていたので、それほど後ろではない席なのに、屍のような痛々しさに見えちゃったりして、凄味すらあった。

気になったのは声の低さかな。京劇は数えるほどしか見てないのだが、もっと声が高くて透明感がある歌声のように思った。彼の声だけが低めで、他の人達とのアンサンブルがない。仕方ないさ50代の男性が10代の娘を演じているんだもの、歌舞伎だと思って聞こうと思いなおした。最後のカーテンコールで、玉三郎は一節高い声で歌って聞かせて、観客の喝采を受けた。素敵な声だった。

今日、2008年の南座の舞台録画を見直したら、昨日の舞台よりずっと高い透明度のある声を出していて、中国人俳優達の声とも馴染んでいた。やっぱりその日によっていろいろあるんだろうね。

東京公演は同じ夢を見ていた男の恋心から、一度は死んだ娘が甦って結ばれるというハッピーエンドで、そこも好かったな。

それにしても、昔よく遊んだ赤坂がすっかり様変わりで、見付駅の方角を人に尋ねなければならなかったほどだった。

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2010年10月24日 (日)

ビデオ「最高の人生の見つけ方 (the Bucket List)」

これもTsutayaで借りてきたものだけど、信じられないことに日本語バージョンしか入ってなかった。原語で日本語字幕が基本だろうに。BDってそういうものなのかしら。でも、正直言うと、日本語で聞いても充分に堪能できる作品だった。

<ネタバレです>

成り上がりの無心論者富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)は、自ら経営する病院に入院した。コスト削減のために個室を認めてこなかったので、歴史学者になりたかったが、子供が出来たので学業半ばで家族のために道を諦めた黒人修理工カーター(モーガン・フリーマン)と同室になった。ともに余命半年と言われる。カーターが書き始めた「棺(に入る前にやること)リスト」、カーターにとっては叶わなかった夢リストだったが、エドワードは金にあかせて実現しようとする。

スカイダイビングに挑み、アフリカのサファリを走り、ピラミッドの上から壮大な夕焼けを見ながら語り合う。「自分の人生に喜びを見出せたか」「他者の人生に喜びをもたらしたか」。ダージ・マハールを訪れ、万里の長城をオートバイで走る。荘厳な眺めを求めてエベレストに登るが、悪天候に阻まれる。これでもかと金をかけて動き回る二人だが、嫌味にならないのは余命半年というギリギリの立場の所為だろうか。カーターという人物が分別を失っていないからだろうか。

共通するものがほとんどないかに見えた二人だったが、残る人生が僅かであるという共通点から行動をともにしている間に、心が通じ合ってくる。死について、死後について、神の存在について語り合ううちに、相手に対する思いやりも芽生えてくる。リストの項目には「見ず知らずの人に救いの手を差し伸べる」「大笑いをする」「世界一の美人にキスをする」などもあった。

体調が悪くなったカーターを妻のもとへ帰らせようとするエドワードに拒否するカーター、一方エドワードは、カーターが思いやって、別れて住むエドワードの娘に合わせようととすることに怒ってしまう。

家族のもとへ戻ったカーターだったが、幸せな思いに包まれたのも数日で、脳への転移が認められて手術を受けることになった。駆けつけたエドワード。和解した二人は冗談にともに腹を抱えて笑う。リストを渡して、後を頼むと手術室へ去ったカーターは戻らなかった。

カーターの言葉に後押しされて、エドワードは娘を訪れ、初めて孫娘を抱きしめてキスした。カーターの葬儀に心をこめて弔辞を読んだエドワードの遺体は同じく火葬され、その遺骨は頂の上に並んで埋葬された。

やっぱり原語で理解したかった表現が幾つもあるよね。悔しいな。好い映画だった。繰り返し見たいほどじゃないけど、忘れたくない作品だね。

若い有能な、本当の意味で有能な秘書が印象的だった。

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2010年10月20日 (水)

ビデオ「グラン・トリノ」

久しぶりにTsutayaから借りてきてビデオを見る。「グラン・トリノ」監督・主演はクリント・イーストウッド、タイトルはフォードのクラシックカーの愛称らしい。

<ネタバレです>

朝鮮戦争に若くして参戦し、心に苦い傷を持ったポーランド系アメリカ人のウォルトは妻を亡くしてますます頑なになってゆく。隣近所に増えてきた東南アジアからの移民も日本車も気に入らない。

ベトナム戦争でアメリカ側についた為難民となってしまった山岳民族達。隣人家族は父親がいない。健気な姉スーと優しい弟タオ。彼が同じ民族のチンピラに脅されて、ウォルトのビンテージ車グラントリノを盗もうとしたのを見つけたことから、このタオと係わることになる。悪に巻き込まれずに生きようとするタオを慈しみ始めたウォルトだったが、悪に引き込もうとするチンピラを痛めつけたため、逆にスーが襲われた。

肺癌だろうか、血を吐き、死期が近いことを知ったウォルトは、一人でスーの仇討ちに向かう。

サムライのような、西部劇のカーボーイのような男だが、まさに現代に住んでいる男だ。フォードの工員として働いてきたことが誇りだが、息子は日本車のセールスをしている。老いた父と息子家族との関係はまさに現代のストーリーだ。ポーランド系ということで、カトリックの神父も出てくる。死と生が語られる。戦争を兵士として過ごした男と若い神父のかみ合わない会話が現実の死を前にして通い合う。

アメリカ人の男としての行き方を教えた異民族の若者との心の通い合い。最後の決着のつけかたは、サムライでもガンマンでもないけれど、通底するものはあるよね。

哀しい結末だけど、男が生きて死んだという誇りは残ったストーリーだった。クリント・イーストウッドは観客を裏切らなかったね。

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2010年10月17日 (日)

広島発ドラマ「火の魚」@NHK

とても好い作品だ。今年の3月にも録画して見て、好い作品だから感想をアップしようと削除しないでいたけれど、タイミングをはずしていた。

日本だけでなく、海外でも賞をとったようで、先月再び放送された。また録画して、今日再び見て、やっぱり好い作品だなと思う。

老作家が瀬戸内の島を久しぶりに出て、癌で療養している若い女性編集者の見舞いに行くところから始まる。彼(原田芳雄)は直木賞をとった作家だが、健康に不安を持って以来、実家の島に戻って健康的だがわがまま気ままな生活を続けながら、官能的な小説を書いている。そこへやってきた若い編集者の女性(尾野真千子)。最初は彼女を気に入らなかった彼だが、彼女が学生時代人形劇をやっていたことなどを知って、興味をもち始める。彼女の見事な影絵の人形劇は、島の子ども達だけでなく、彼の心もとらえる。「幸せの王子」「一寸法師」影絵も素敵だし、演じる彼女も上手い、そしてそれを見ている子ども達の引き込まれた様子がよく出ていた。

彼の好意が情愛に移りそうになった頃、彼女に本音を言わせることになった。それは彼が自覚していたことだった。編集者として彼の作品の変遷と感想をしっかりと述べ、現在の彼の作品に欠けているものを彼女は指摘した。

「怖いものは死ぬこと」と言う彼女に、死が身近である老人の立場で語る作家。

彼女が担当からはずれた時、作家は、彼女が癌の手術を受けたことがあり、今回再発したことを知らされる。死は若い者にとっても身近だったのだ。

一抱えの赤い薔薇の花束を胸に見舞いに行く彼。ストレスをかけたと詫びる老作家に、彼女は、自ら望んで担当編集者になったことを語る。二人は死を考えた時の孤独を共有する存在になった。

原作は室生犀星、明治時代の作家だと思っていたら、大戦後まで生きていたんだね。女性編集者の言葉遣いが古めかしく毅然としているが、編集者という役柄から納得させられる。原田芳雄の喋りが、むしろ現代性を持たせている。

原作の素晴らしさを実感させられるが、原作を読んでいないから判らないけど、渡辺あやという脚本家が良いのかもしれない。とにかくこんなに質の高い作品を見れることは珍しい。なんどでも見ちゃうぞ。

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2010年10月 6日 (水)

NHKドラマ「十年先も君に恋して」 & 宇宙エレベーター

恋愛ドラマはあまり見ない私だが、ちょっと見てびっくりした。

ストーリーは、結婚して10年後の未来の夫と称する男(内野聖陽)が、タイムマシンで、彼と出会う以前の彼女(上戸彩)の目の前にやって来た。編集者の仕事を辞めて結婚した彼女は、充たされず、10年後には離婚しようとしていると言う。出会わなければ悲劇は避けられると彼は考えたのだが、若い二人は出会って、恋に落ちてしまう。結婚に至る前に別れさせようとする10年後の男と、振り回される女の子。彼女に心を寄せる若い男性作家や、未来から来た男に関心をもつ年配の女性作家とその夫、編集社の女性上司は、自分の未来を知る男に惹かれるなど、周囲の人間も面白く描かれていた。特にタイムマシンを研究していた教授は、自分が10年後には生きていないことを感じ取るが、変わらずに優しい。

限られた滞在期間の中で、男は、結局彼女を愛さずにはいられないのだということに気付く。彼が10年後の世界へ戻っていけば自分の記憶が無くなることを知った彼女は、10年後の自分に手紙を残す。

で、びっくりしたのは、設定された恋の相手の彼は宇宙エレベーターの研究者だったのだ。宇宙に浮かべた静止衛星のようなエレベーターを作れば、月にだって行ける。そのアイデアは、私が小学生の頃に未来像として作文に残したものに似ていた。私はあれ以来、思い出す度に『なんて莫迦な想像をしたものか』と自分の幼さを恥じ入っていた。誰にも話せないと思っていた。なんと、そのことを現実のものとして研究している団体だってあるんだそうだ。驚いた、驚いた。(^^;)

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2010年10月 1日 (金)

井上ひさし追悼「日本人のへそ」@テアトル・エコー

小雨の中、恵比寿のテアトル・エコーに行ってきた。

井上ひさしには関心があったけど、今まで彼の著作を読んだことがなく、舞台も見たことがなかった。今回追悼公演とあったので、良い機会だと思って、出掛けた。

この作品は、41年前に上演された、井上ひさしの初の舞台脚本であり、彼が存命中に熊倉一雄と再演の合意が得られていたという。井上ひさしの急逝を受けて、追悼公演と銘打たれることになったそうだ。

楽しい作品だった。昔の上演だったので、今では禁忌となっている単語がボンボン出てくる。私にとって懐かしい時代だけれど、だからこそ自分の現実とは違った世界という感じもある。岩手弁かな、東北弁でちょっと聞きづらいところもあった。浅草フランス座(ストリップ劇場)や今の草食系と違って、昔の肉食系の男達の時代だから、性的な台詞もすごい。但し、今の若い役者がさっぱりと発するから嫌味はなかったよ。

どんでん返しのどんでん返し、あれっ?と気が緩んだら、すかさずアッと驚く意外な展開がある終盤は見ていてもテンションが上がった。そして、最後は小さな笑いで終了。うん、確かにあのプロットを作った井上ひさしは天才だったね。

明日が楽日。

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