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2012年3月

2012年3月23日 (金)

「相棒」 Season10 最終回SP@TV朝日

「相棒シリーズSeason10」が終わった。 亀山薫のあとの神戸尊最後の回。 及川光博の退陣は予定通りだという。

毎週水曜日の9時になれば、チャンネルは合わせたけれど、薫ちゃんの時代ほどに楽しい作品には巡り合えなかったな。神戸尊の人物像の造形は難しいよね。 知的でクールで意志的で、主役になれるキャラだもの。それが、最後のほうに人間臭くなってきて、杉下右京のもとを去っていく。 再び右京の前に現れるかもしれない、微妙なポジションへの移動だけれど、次のシーズンでは、相棒ではないんだよね。

輿水泰弘の脚本はいつも感心しながら見ることが多い。この最終回SPで、クローン人間をこの日本で誕生させようとするとは、と、大いに結論を楽しみに見ていた。ところが、びっくり、唖然。 流産させて終わりなの? 今は21世紀だよ、輿水さん、これはないだろう!と、突っ込みを入れちゃったよ。あまりに無難過ぎる結末だ。時代へのメッセージはないのかいとがっくりきてしまった。

あとは、次の相棒が誰になるかだね。楽しみに待とう。

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2012年3月 8日 (木)

3.11東日本大震災TVドラマ それぞれ

まもなく東日本大震災から一年を迎えるにあたって、TV各局が関連ドラマを放送している。

まず、NHKの「それからの海」が一番早かった。3月3日。それでも、あの甚大な被害を及ぼした大震災と津波をドラマ化するのに一年が必要だったということなんだね。このドラマは、海で夫が自殺した時に世話になった漁師を、女性が幼い息子と共に訪ねて、津波の被害にあった東北にやってくるというストーリー。親を亡くした子供や被災した人々、事実を取材して描いたというが、主人公の女性の夫が自殺していたという設定が最後までなじめず、作品としてはうまく鑑賞できなかった。

次が、TV東京の「明日をあきらめない~河北新報社のいちばん長い日」、仙台に本社がある東北の地方紙河北新報の、地震の後の大津波で被害を受けた記者たちそれぞれの奮闘振りと、海沿いの販売店一家の被災と立ち上がりを見せていた。同じようなドラマを阪神淡路大震災の後に見た記憶がある。それでも、これが、ほんの去年起きた事実に沿ったストーリーだと思うと、見ていて気持ちが入った。

自家発電は動いたが、サーバーがダウンして使えなくなり、新潟日報との協定に従って紙面作成をさせて貰う段取りがすぐついたのは、阪神時より進歩していたんだね。男女の記者を火災中の気仙沼に送った。被災直後の人々にカメラを向けるのをためらう記者。ここでも、「自分は何をしているのだろう」という呟きがあった。震災直後に、まず子供を引き取りに赴いた記者や、亡くなった子供を抱いて泣く父親を見て、自分の子供と同じくらいだと涙を流す記者など、それぞれが生きている人だということがよく出ていた。「見たままを書く」、彼らなりの結論は出ていたようだ。

河北新報って、東北では信頼性の高い評価を受けている新聞社だよね。亡くなった父親の跡を継いで新聞販売店を開くという息子、これも実話だそうだ。これからは紙からネットへと移っていく新聞かもしれないが、停電で、TVも見れない被災者たちには、ちょっと遅れた新聞でも、紙の新聞情報は貴重だっただろうことは想像に難くない。

そして、日テレの「3.11 その日 石巻に何が起こったのか」、これは地方紙というよりはむしろ、地域新聞と呼べるほどの小さな夕刊紙石巻日日(ひび)新聞の被災奮戦記である。自家発電がなく、停電し、輪転機が止まった時、長い社史の中で地域の回覧板として発行を続けた事実を思い出し、壁新聞のような手書き新聞を発行することにした。手書きで6箇所に張り出した。記者たちは地元の被災の様子や、市役所からの呼びかけ等を、自らの家族の安否確認が難航しながらも取材を続けた。

日テレらしく、少し理屈っぽい。 さまざまな問題点も示されたよ。コンビニから食料を持ち去る人々、ATMが荒らされたという噂、そして、自分の車のガソリンを緊急な要のある老人たちへ譲る人や、無料で温かい料理を分ける食堂主、炊き出しをする商店主たちなども出てきて、ちゃんと泣かされちゃった。

数日経つと、手書きで避難所情報を伝える石巻日日新聞の横で、輪転機で刷った河北新報が福島原発事故を報じていた。そして、通電して、石巻日日新聞でも輪転機が回った日の一面は、「皆でがんばっぺぇな」だったそうだ。

ワシントンの「ニュージアム」博物館に、この石巻日日新聞の壁新聞が、ジャーナリズムの原点として永久展示されることになったという。

他のチャンネルでもドラマを作っているのかもしれないが、今のところ、私の目にとまったのは、この3本。まだ福島原発事故を直接描いたドラマは出来ていないみたいだが、そのうち出てくることだろう。その時、被災者の心にも、振り返られる余裕ができているといいね。

新聞記者のみなさんは頑張ってくださいね。(^-^)V

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2012年3月 5日 (月)

TV朝日x朝日新聞メディアフォーラム「震災報道を考える」

昨日、有楽町のマリオンで開かれた「震災報道を考える」フォーラムを聴きに行ってきた。

特別コメンテーター池上彰氏、登壇者は、難民を助ける会の長有紀枝氏、早稲田大学大学院の津田大介氏、朝日新聞社の杉浦信之氏、朝日新聞南三陸駐在記者の三浦英之氏、そして、TV朝日「ニュースステーション」の若林邦彦氏だった。TV朝日の下平さやかアナウンサーと富川悠太アナウンサーの司会で始まった。

第一部では、「南三陸日記」というコラムを書いている三浦記者が語った。このコラムは、被災者に寄り添った、心温まる優しいレポートだ。 震災・津波の翌日から現地に入って、その惨状のあまりの酷さに衝撃を受け、子供の津波で亡くなった遺体の痛々しさなどに、取材どころではなく、「自分は何をやっているのだろう」と感じていたという。しばらくは記事もかけなかったそうだ。 遺体回収の若い自衛隊員に「ぶっ殺してやろうか」と凄まれた話もあった。多分、ここに私は引っかかったんだと思う。

メディアアクティビストという津田氏は、一度TVで話しているのを聴いたことがあり、その論理的な語り口に好印象をもっていた。今回もマスメディアとネットメディアを比較し、報道の流れを明快に指摘していた。

休憩が入って第二部のためにコメント・質問を求めていたので、私もこだわったことについて書いて提出した。 海外では亡くなった息子の遺体の前で、世の中にこの悲劇を伝えてくれと記者に語る母親の記事を見たことがあるが、日本では特に死者の出た悲劇を報道することを否定的に見る傾向がある。 記者は報道に自信をもって欲しいというようなことを書いた。個人批判にならないようにと気を遣ったつもりだった。

ところが、アナウンサーに指名されて、質問に答えることになってしまった。それも、別の人の、遺体の写真を公表することの是非みたいな意見と一緒にされて、あたかも私が遺体の写真を公表すべきだと書いたかのような流れになった。三浦記者は「遺体の写真を見たいですか」と尋ねた。朝日新聞は遺体の写真は載せないことにしているそうで、私も載せなくてよいと考えているとは言ったものの、結局報道記者の心構えという論点には戻らなかった。

終わった時、人とのコミュニケーションは難しい、自分の本意を知ってもらうことはとても難しいと痛切に感じていた。しかし、帰りの電車やバスの中で、どんどん怒りが湧いてきた。何故あの自衛隊員に「もし私を殺したら、あなた達の活動を知らせる人がいなくなるんですよ」と言えなかったのか。事件事故の悲劇を報道する人が、辛くて筆を置いたら、その後ろにいる読者は何も知ることが出来ないままに残されるのだ。悲劇の取材にたじろがないで欲しい、報道に自信をもって挑んで欲しいのだ。彼らは私の論点からわざと目を逸らした?まさかそんなことはあるまいと思い直しながらも、不満が残った。

そして、一晩寝て目覚めた今朝、ふと思った。三浦記者も、自分の目で見たあの悲惨さを、十分には理解されなかったという空しさを感じたかもしれないな、と。そうね、遺体回収をした警察官や自衛官達の心の傷の深さを書いた記事を読んだことがあったけれど、私もどれだけそれを理解したものやら。

「コミュニケーションは難しい」、結局この結論に戻ってしまった。

(本日は、直接言葉を交わしたりしたので、例外的に敬称をつけました。)

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