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2012年6月26日 (火)

「天日坊」@シアターコクーン

145年も昔の歌舞伎を串田和美演出、宮藤官九郎脚本、中村勘九郎主演で復活させた、コクーン歌舞伎の初日を見た。席は平間、ちゃんと正座できなくて申し訳ないんだけれど、周りを見てもちゃんと正座している人ってほとんどいないから、スカーフで脚を隠しながらの体育座りでエンジョイした。すぐ脇を役者が通るのが醍醐味だね。

天一坊事件を下敷きに、頼朝の落胤に成りすまそうとした若者の話だ。修験者の忠実な弟子であり、心優しい若者(と見えた)法策(勘九郎)は、化け猫事件を師を助けて解決し、老婆を優しく気遣うが、情にほだされた老婆が語る娘と将軍頼朝の間に生まれた孫の話を聞く。母子は死んでしまったが、頼朝の子である証しの品が残されていることを知った法策は、その子と同じ年頃であり、孤児である自らがご落胤になることが出来ると考え、老婆を殺してご落胤の印やお墨付きを奪って逃げ、鎌倉へと向かう。

あの心優しい若者が人殺しをしてまで栄華を目指すという心の転換点がよく見えなかったよね。老婆殺しの後に、すれ違った若者をも簡単に殺して、自分の身代わりにしてしまう。この短絡的悪には唖然だった。でも、勘九郎って、人が良い役は出来るけど、闇に呑まれる役ってまだ無理っぽいね。形はしっかりしてるんだけどなぁ。

まぁ、話はそれでも進んでいく。途中で盗賊の地雷太郎(獅童)と妻のお六(七之助)に捕まりそうになる。頼朝のご落胤だと主張して、反頼朝勢力の二人に殺されそうになるが、実はと素性を明かして命乞いをすると、二人に説得されてそのまま天日坊として鎌倉へ乗り込むことになる。

最近とんと見たことがなかった獅童と七之助の舞台だが、今回驚くほど二人が輝いていた。素人が「うまくなった」なんて言うとおこがましいかもしれないが、二人の演技が豊かになったとでもいうべきか。若い役者って、しばらく間をおいて見ると、精進ぶりに感激できるものなのかもしれないね。

お六は、法策が実は反頼朝方(木曽義仲だったかな)のご落胤であることに気付く。「俺は誰だぁ~」となるのね。人の身分なんて、周りが認めるからそうなるのであって、自分が何者かというのは、若者すべての命題だよね。

鎌倉で将軍頼朝にまみえる前に尋問をうける天日坊。ここが歌舞伎のはちゃめちゃさだけれど、この吟味方が、なんと法策の頃に下働きみたいに見知っていた男(白井晃)だった。つまり、天日坊の正体はバレバレだったのだ。捕えられそうになった時に、法策が口を開けて、何か言おうとした。私は内心、「ここで、『俺は誰だぁー』なんて叫ぶんじゃないぞ!」と思った。彼は言葉を飲み込んだ。そうだよ、こんなところにきて、まだ「俺は誰だぁ」なんて言ってちゃいけないやね。自分が何者かは自分でもう決めなくちゃな。

他にも場面を枠組みの中の芝居のようにして話を説明的に進めて行ったり、船の場面も、一部だけを詳細にして客の視線を集めるなど、目新しい手法がいろいろとあった。

歌舞伎らしいんだけど、トランペットなど洋楽器を着物を着た人たちに演奏させるなど、それらが現代語の台詞が時々入っても破綻なく楽しめるというのがコクーン歌舞伎と呼ばれるものなのだろうね。

七之助や獅童は、それぞれの成長が頼もしく、今後とも楽しみだなと思うけれど、勘九郎については、熱が入れば入るほど、先代の勘九郎に似てきてしまう。伝承していても自分らしさを出すのは、さぞかし難しいことだろう。大変だろうなぁと思った。

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