舞台・演劇

2014年9月29日 (月)

War Horse - 戦火の馬 -

これも先月見た舞台のメモだ。

渋谷のシアターオーブ(Theatre Orb)で「War Horse - 戦火の馬 -」を見た。この作品を見たかったのは、感動的なドラマらしいからではあるが、もう一つ、文楽(人形浄瑠璃)好きな私にとって作り物の馬を人が操る舞台を見たいという気持ちからだった。

馬が竹細工のような枠組みで表現されていることは、文楽や歌舞伎を観てきた人間としては、すんなりと納得できるものだ。どのように本物に近づけて作っても、否、本物に似せれば似せるほど本物ではない印象が強調されることを知っている。枠組みだけでも、その動きが素晴らしければ、それを見る観客のイマジネーションは、そこに本物の馬の躍動を感じることが出来るのだ。

第一次世界大戦直前のイギリス、農家のアルバート少年は父と馬の競売場に行き、農耕馬とサラブレッドのハーフの素晴らしい馬を見つけてセリ落とし、ジョーイと名付ける。アルバートの父と伯父の兄弟はイギリス人の例にもれず、賭け事が何よりも好きだった。財政的に豊かな兄は、ジョーイに大金を賭けることを申し出る。期限内に農耕馬のように鋤を引けるようになること。アルバートは必死でジョーイに鋤の引き方を教える。ついに成功して金を入手した父親は、ジョーイをアルバートのものだと宣言する。

しかし、第一次世界大戦が勃発し、フランスの戦場では馬が不足する。軍馬が大金で売れることを知った父親は、アルバートに内緒でジョーイを売り渡してしまう。アルバートは心を通わせた愛馬ジョーイを諦められず、年齢を偽ってフランス戦線に参加してジョーイを捜しに出かける。

フランスの戦場では、さまざまなドラマが演じられる。ジョーイを愛してくれる英国軍人、避難農民の女性と可愛いエミリーという少女の母娘とジョーイ、またドイツ軍兵士とエミリーとジョーイ。栗毛のジョーイと黒毛馬との友情ともいえる交流もあった。アルバートは化学兵器(もう第一次世界大戦から使用されていたのね)で一時的に目が見えなくなっていたが、ジョーイを恋うる口笛に応える馬は、鉄条網から救い出されたものの、殺処分されそうになっていたジョーイだった。

ついにアルバートは生きてジョーイを自宅へ連れ帰る。父母と抱き合って無事な再会を喜ぶアルバート、ジョーイは背景の農場でのんびり飼葉を食んでいる情景で大団円となった。ここに私はちょっぴり違和感をもった。日本のドラマなら、きっとジョーイに抱きついた家族三人の姿で終わるのではないかしら。どんなに愛していても、馬は馬、家族と一体にはならないところが欧米人の文化かなと思ったのだ。この舞台を見た友達に語ってみたが、彼女は自然だと感じたようで、この違和感は私個人の感想でしかないのかもしれない。

馬の動きは感動的だった。文楽の黒子とは違って、農夫の姿をした数人が頭や脚を動かすのだが、活き活きと活発に躍動する。馬の心さえ表現できていたと言える。ずいぶんと研究訓練をしたのだろうね。

第二次世界大戦のドイツ軍とは異なって、英独両兵士の人らしいほのぼのとした交流もあって、観客の神経が和むストーリーもある。これが世界中の観客に受け入れられている理由なのだろうね。

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2014年9月28日 (日)

白石加代子「百物語」ファイナル

もう先月のことになるのね。感想を書いたつもりだったのに見つからないから、ここにメモっておく。

北千住のシアター1010に白石加代子の「百物語」ファイナルを見に行った。ずっと一話目から演じられ続けた舞台だったのだろうが、最終回にしか行かなかったことを残念に思っている。

九十八話目は三島由紀夫原作の「橋づくし」。怖い話というよりは、落語のようなオチの話しだった。

そして九十九話目は、泉鏡花原作の「天守物語」。この作品は玉三郎の舞台を何度か見た大好きな演目だ。さまざまな人物の台詞を連続でくっきり語り分ける白石加代子って、すごい役者だね。富姫は誇り高く美しい恋する女性として、玉三郎に劣らぬ表現だった。すばらしい役者の台詞力と演技力は、美しい姿のすばらしい役者に並ぶということを知った。感動だった。

泉鏡花の作品ならどれも感動的というわけではない。少なくとも私にとっては、「天守物語」は別格だ。その物語を白石加代子がどのように演じるのか、とても楽しみにしていた。そして彼女はその私の期待を裏切らなかった。朱の盤坊や舌長姥などのあやかし者は彼女の個性の得意とするところだろう。掛け合いのような台詞は楽しく聞くことができた。若い亀姫と豊かな富姫もみごとに演じ分けた。

満足して帰宅途中の電車の中で、妻の趣味につき合わされたらしい老年期の男性が、「字幕がなくては、誰が話しているのか判らないじゃないか」と文句を言っているのを聞いた。笑えた。

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2014年8月16日 (土)

七月の観劇など

先月の観劇は、夏休みだから結構多かった。その都度書き留めることが出来なくて、これはちょっとしたメモだね。

☆「Sister Act 天使にラブソングを」於帝国劇場 - 映画にもなった舞台で、ウーピー・ゴールドバーグの役を森公美子が演じていた。明るい彼女だし、声量ある歌手だから期待していたけれど、みんなで声をそろえて歌う時、彼女の声が聞こえなくなる。どんな場面でも彼女の歌が耳に届いて欲しい。彼女の性格なのかもしれないけれど、それが主役であり、ドラマを引っ張っていくことになるのだと思うんだけどなぁ。

☆「抜け目のない未亡人」於新国立劇場 - 大竹しのぶ主演、三谷幸喜演出。そのほかにもTVでよく見かけるタレントが大勢出演していた。原作はイタリアのCarlo GoldoniのLa vedva Scaltraですって。年の離れた裕福な夫を亡くしたばかりの元女優の未亡人が妹とともに婚活するストーリー。金が狙いだったり、女優復帰が狙いだったりのドタバタでした。

☆「Catch me if you can」於シアタークリエ - これは、ディカプリオの映画のミュージカル化だというけれど、映画は見ていない。ミュージカルで知った名前が数人出ていたので見に行ったのだけれど、始まった時、場違いなものを見ているらしいと気が付いた。まず松岡充を知らなかったからね。でも、今井清隆の声はいいね。実話に基づいているというのが驚きなほど、子どもの詐欺師の話って感じでした。

☆「カッコーの巣の上で」於東京芸術劇場 - 小栗旬主演。これも映画の舞台化だね。有名な映画、多分TVに流れたものを見たことがあったはずだ。でも、詳しくは覚えていなかった。舞台を観終わった後に、そうだった、と思い当る始末。主役に自分を投影させて楽しめない作品というのは辛いね。脇役に希望が残るんだけど、多分これは見るより演じる方が満足感を得られる作品なのではないかしら。

☆「天守物語」於歌舞伎座 - 玉三郎の富姫、海老蔵の図書之助は旧い歌舞伎座でも見た。映画がとても良かったから期待して見たのだけれど、図書之助が心のない人形みたいだった。今回、また同じ配役での舞台だから、図書之助の進化を期待して赴いた。そして、その期待は裏切られなかった。そうだね、この数年、いろいろなことがあったもの。また次回、同じ配役でこの舞台がかかったら、きっとまた見に行こうと思った。

七月には他にもいろいろ美術館や博物館にも行ったけれど、特記すべきは三井記念美術館の「明治の超絶技巧工芸展」かな。質の高さに敬服し、感動した。あとは品川Epson水族館のイルカショーが楽しかったなぁ。

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2013年5月28日 (火)

文楽5月公演@国立劇場

遅くなったけれど、ちょっと今月の観劇メモ:

国立劇場小劇場第二部

「寿三番叟」には病み上がりの住大夫が出ていた。声はちょっと細くなったかなと感じたが、つい、よくぞここまで回復したという思いが湧いた。これからも頑張って欲しい。

そして、「心中天網島」、河庄の段や大和屋の段よりも、やはり道行だね。橋づくしで、人形の動きにあわせていろいろな橋が出てくる。心中するより他なくなった小春と治兵衛、女房おさんの心を思いやって、別々に死んでゆくのは、知っていても、見るたびに心動かされるなぁ。

黒い着物に白い人形の肌が、なまめかしいほど美しい。

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2013年4月13日 (土)

「今ひとたびの修羅」@新国立劇場

新国立劇場って、京王新線初台駅にあるんだよね。新宿なんてめったに行かない駅だから、まごまごしちゃった。料金図を見て、新宿始発だと思っちゃったものだから、停まっていた各停に飛び乗ったら、次の駅が新宿三丁目。えーっ!反対側じゃん。時間的余裕を見て家を出ていたから良かったよ。トホホ ホント、私鉄に乗るのって難しい。地下鉄とJRで暮らしてきたからね。

さて、いただいた券で見に行ったので、自分で選んだ作品ではないこの舞台「今ひとたびの修羅」、TVでお馴染みの顔ぶればかりだった。飛車角に堤真一、宮川に岡本健一、吉良常に風間杜夫、青成瓢吉に小出恵介。そう、尾崎士郎の「人生劇場」が原作。知ってるよ、村田英雄の歌にあるあれ、でも、内容までは知らなかった。他に飛車角と宮川の間で揺れるおとよに宮沢りえ、瓢吉に惹かれるお袖に小池栄子、友人に鈴木浩介、狂言回しの先生に浅野和之。みんな良かったよ。

脚本が宮本研で、演出いのうえひでのり。侠客ものだから、立ち回りがいくつかあるのだが、劇団☆新感線の殺陣を少しばかり抑えたイメージだった。義理と人情の男の世界、飛車角は人を殺めて刑務所にゆく。しかし、別れて暮らすことには耐えられない女のおとよは、面倒を看てくれる弟分の宮川と親しくなってしまう。出獄した飛車角は二人の関係を受け容れるが、渡世の掟の出入りで宮川が死んでしまうと、飛車角とおとよは散る花弁の中に共に消えてゆく。今ひとたびの修羅とはこのことなのだろう。

ストーリーは明確で、サクサクと進んでいく。回り舞台と光を使って、遠景から室内までを巧みに変化させる舞台は、とても良く出来ていたと思う。吉良常の渡世人としての戒めや、先生と呼ばれる酔っ払いの口を通して語られる人生の警句などがちりばめられているが、それほど鼻につかないのは、私の年代のせいかしら。脚本がいいのかな。

瓢吉とお袖の屈曲を経た恋も対比される。小池栄子が得な役をしているな。面白く見ることができた舞台だったけれど、やっぱりおとよは理解できないや。

で、ふと思い出した場面がある。鶴田浩二の飛車角と高倉健の宮川だと思うシーン。これから殴り込みに行くというやりとり。それだけしか覚えていない。子供に人生劇場を見せてくれたとも思えないから、思い出のシーンかなにかで放映されたものを見て印象に残ったのかなぁ。

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2013年1月12日 (土)

新春 桂米團治独演会 於銀座ブロッサム中央会館

昨日、米團治の独演会に行ってきた。銀座なんて頭についているからどこかと思ったら、地下鉄新富町駅そば。落語をやるときは新富町と言ったほうが粋な音だよね。

落語の独演会って初めてだったけかな。一人で喋りまくるわけではなく、お弟子さんが中で喋って、本人の着替えや一息を助けるんだね。桂米輝と桂米紫、ふたりともそれなりに上手かったよ。よく笑えたもの。耶蘇教かぶれの日本語はちょっと違和感あったけどね。

中川清(桂米朝)作の「淀の鯉」、米朝が21歳という若さで書いた脚本というので、どんなものだろうと思ったが、とてもよく出来ている。米朝の才能の素晴らしさを示しているんだね。それから、これって以前一度聞いたことがあると感じた。米朝の舞台は見たことないはずだから、きっとTVだろうね。

米團治襲名前後の必死の舞台に心動かされて、何度か彼の舞台に足を運んでいる。段々慣れてきて、あんな必死の舞台にはもう巡り合えないけれど、素直に笑って帰れればいいと思おう。それにしても、「サクラか?!」と言いたくなるくらい強烈に笑う人たちがいる。追っかけかな。笑いたくて来てるんだね。聴きに来ているとは言いたくない。

ちょうど昨日の昼間、偶々録画されていたNHK番組ビデオを見た。笑福亭仁鶴が大阪の笑いの歴史を案内していた。私は長年「大阪の泥臭い笑いは肌が合わない。やすしきよしの漫才と仁鶴のお喋り以外は嫌いだ。最近の例外が米團治」と思ってきたが、旧い漫才に大笑いする私、びっくりした。今の関西の笑いとどこが違うのだろうと考えたら、演者の芸に対する真剣度じゃないかと思い至った。表面的な笑いを取るだけで人気者になれ、ボケをやってるけど書物をたくさん読んでいるんですよとか、雑学をいろいろ知っているんだとクイズに出たりする傾向があるものね。どんな形であれ、人気が出て、TVにあちこち出て、芸人が食べていける現代の傾向は、それはそれでいいのかな。

笑いということについて、ちょっとだけ考えた夜だった。

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2012年7月25日 (水)

六月ミュージカル「エリザベート」@帝国劇場

今月は博多座で上演されているはずのミュージカル「エリザベート」、先月帝劇で見た舞台の感想メモです。

以前も別の女優で見たことがあったけれど、ストーリーをなぞっただけの印象しかなかった。でも、今回私が見た舞台では春野寿美礼がエリザベートを演じ、くっきりと彼女の心を表現したと感じた。

トートなる死を象徴する黄泉の帝王は私の友達が大好きな山口祐一郎。彼も、エリザベート役がしっかりしていると、その分輝いていたね。

トートは若く活発な娘時代のエリザベートに恋をする。しかし、エリザベートはまだ活気に満ちて、死を身近には感じられなかった。

成長したエリザベートはオーストリア皇帝と結婚し、子供を得て幸せな日々と見えた。ハンガリーの人々に心を寄せて、独立を支援した。しかし、そのうち、夫の背信、そして息子ルドルフの死により彼女は悲しみに沈んでいく。そしてついに、長年彼女に添い続けた死の帝王トートの恋を受け入れる。イタリア人テロリストの手によってエリザベートは殺された。

宝塚の男役だったという春日寿美礼を私はまったく知らなかった。でも、このエリザベートの役で、彼女の力量の素晴らしさを実感した。エリザベートが自由と寛大さと愛の心をもちながら、報われず、悲劇の中に死に魅入られた人生が美しくも凛々しく描かれていた。

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2012年6月30日 (土)

六月大歌舞伎「ヤマトタケル」@新橋演舞場

襲名披露の舞台って、相当な混雑だと思うので、以前からほとんど敬遠して見に行かなかった。でも、今回は友人の希望で出かけることになった。ちょっと香川照之の歌舞伎舞台を見てみたい気持ちもあったしね。

5列目、中央よりちょっとだけ右。なかなか良い席だったね。猿之助のスーパー歌舞伎はいくつか見たけれど、ヤマトタケルはもしかしたら映像でしか見てないかもしれない。細部について、そうか、こんなストーリーだったっけ、と思いながら見てた。

ご存じ梅原猛原作の、日本神話を下敷きにした物語。 亀治郎改め四代目猿之助は隙がない演技。上手いんだねぇ。二役の早変わりも、立ち回りもばっちり。先代より線が細いから、悲劇のヒーローのイメージに合っている。

他の出し物ではどうだかわからないけれど、中車の父王役は台詞も少なく難しかっただろう。破綻なく演じていたのが、流石演技派役者の彼だと思った。

ヤマトタケルは父に理解されず、熊襲(くまそ)征伐にやられ、無事帰還すると奥州へやられてしまう。愛する女性たちとも平安は得られず、ちょっとした油断から傷を負って、息子の無事を確認して昇天してゆく。

ダイナミックでとても素晴らしい舞台だったけれど、情感が足りないかな。まだ四代目では泣けないんだよね。目は満足出来るけど、情が取り残される。多分、これからの彼の年の取り方で充実してくるのを期待するってことだろうね。

口上は、猿之助と中車だった。

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2012年6月28日 (木)

三谷幸喜版「桜の園」@パルコ劇場

先日、渋谷のパルコ劇場で、三谷幸喜の「桜の園」を見てきた。これは私の好みによる選択ではない。しかし、友人の好みに合わせて舞台を見るというのも、視野の広がる好機ではある。

新聞に三谷幸喜が、これは喜劇だと強調していた。まず舞台に出てきたのは青木さやか。観客に語り掛ける。うん、気持ちはわかるって感じかな。お笑いの人としてしか知らないから、その割には声が出ているなと感じたけれど、それでも限界がある。他にもお笑いの人が出ていたり、手品をやってみせたり。しかし、前半の喜劇性を強調した部分はちょっと眠かった。

後半、シリアスな舞台になってからは引き込まれたね。主演の貴婦人は浅丘ルリ子。特に破綻のない演技で、安心して見ていられた。意外だったのが、桜の園を買い取った男を演じた、多分市川しんぺーという役者だと思うんだけど、野卑なような、優しいような、非情なような、またちょっと哀愁もあって、面白い存在に見えた。

みんなが立ち去って、春まで締め切られた屋敷の中にひとり取り残された老人。こういうのを笑ってもいいのかしら・・・、と感じてしまう私は、喜劇鑑賞には向いてないかもね。

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2012年6月26日 (火)

「天日坊」@シアターコクーン

145年も昔の歌舞伎を串田和美演出、宮藤官九郎脚本、中村勘九郎主演で復活させた、コクーン歌舞伎の初日を見た。席は平間、ちゃんと正座できなくて申し訳ないんだけれど、周りを見てもちゃんと正座している人ってほとんどいないから、スカーフで脚を隠しながらの体育座りでエンジョイした。すぐ脇を役者が通るのが醍醐味だね。

天一坊事件を下敷きに、頼朝の落胤に成りすまそうとした若者の話だ。修験者の忠実な弟子であり、心優しい若者(と見えた)法策(勘九郎)は、化け猫事件を師を助けて解決し、老婆を優しく気遣うが、情にほだされた老婆が語る娘と将軍頼朝の間に生まれた孫の話を聞く。母子は死んでしまったが、頼朝の子である証しの品が残されていることを知った法策は、その子と同じ年頃であり、孤児である自らがご落胤になることが出来ると考え、老婆を殺してご落胤の印やお墨付きを奪って逃げ、鎌倉へと向かう。

あの心優しい若者が人殺しをしてまで栄華を目指すという心の転換点がよく見えなかったよね。老婆殺しの後に、すれ違った若者をも簡単に殺して、自分の身代わりにしてしまう。この短絡的悪には唖然だった。でも、勘九郎って、人が良い役は出来るけど、闇に呑まれる役ってまだ無理っぽいね。形はしっかりしてるんだけどなぁ。

まぁ、話はそれでも進んでいく。途中で盗賊の地雷太郎(獅童)と妻のお六(七之助)に捕まりそうになる。頼朝のご落胤だと主張して、反頼朝勢力の二人に殺されそうになるが、実はと素性を明かして命乞いをすると、二人に説得されてそのまま天日坊として鎌倉へ乗り込むことになる。

最近とんと見たことがなかった獅童と七之助の舞台だが、今回驚くほど二人が輝いていた。素人が「うまくなった」なんて言うとおこがましいかもしれないが、二人の演技が豊かになったとでもいうべきか。若い役者って、しばらく間をおいて見ると、精進ぶりに感激できるものなのかもしれないね。

お六は、法策が実は反頼朝方(木曽義仲だったかな)のご落胤であることに気付く。「俺は誰だぁ~」となるのね。人の身分なんて、周りが認めるからそうなるのであって、自分が何者かというのは、若者すべての命題だよね。

鎌倉で将軍頼朝にまみえる前に尋問をうける天日坊。ここが歌舞伎のはちゃめちゃさだけれど、この吟味方が、なんと法策の頃に下働きみたいに見知っていた男(白井晃)だった。つまり、天日坊の正体はバレバレだったのだ。捕えられそうになった時に、法策が口を開けて、何か言おうとした。私は内心、「ここで、『俺は誰だぁー』なんて叫ぶんじゃないぞ!」と思った。彼は言葉を飲み込んだ。そうだよ、こんなところにきて、まだ「俺は誰だぁ」なんて言ってちゃいけないやね。自分が何者かは自分でもう決めなくちゃな。

他にも場面を枠組みの中の芝居のようにして話を説明的に進めて行ったり、船の場面も、一部だけを詳細にして客の視線を集めるなど、目新しい手法がいろいろとあった。

歌舞伎らしいんだけど、トランペットなど洋楽器を着物を着た人たちに演奏させるなど、それらが現代語の台詞が時々入っても破綻なく楽しめるというのがコクーン歌舞伎と呼ばれるものなのだろうね。

七之助や獅童は、それぞれの成長が頼もしく、今後とも楽しみだなと思うけれど、勘九郎については、熱が入れば入るほど、先代の勘九郎に似てきてしまう。伝承していても自分らしさを出すのは、さぞかし難しいことだろう。大変だろうなぁと思った。

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